藤原為時
冬嗣の六男・良門が若く死に、正六位で終わったせいで、正直藤原北家の中でも政治的には終わってしまった、良門流。
しかし、文学・学問においては父や祖父など名を残してる模様。
大河ドラマでもあったように師貞親王の副侍読*1を務めた。
師貞親王が即位(花山天皇)すると、式部丞に任じられるが、約2年後の花山天皇の譲位に伴って官職も辞任。
これ以降は不遇の時代。
というか、師貞親王の副侍読ってだけで、家柄的にはラッキーか?
そのうち、越前守となり、越前*2へ下向。紫式部も同行したらしい。
『後拾遺和歌集』(3首)および『新古今和歌集』(1首)に和歌作品が入集*3。
大江匡衡から源為憲・源孝道らと並んで「凡位を越える詩人」と評された。