感想、全部垂れ流す

備忘録的に感想を書き連ねます

【藤原北家小野宮流】『光る君へ』大河ドラマ人物伝

藤原実資(さねすけ)

世代的には、道長の又いとこ(はとこ)。同年代。

祖父の藤原実頼が、関白。そして、祖父の養子になる。

小野宮流は藤原北家嫡流だったが、摂関期に九条流に持っていかれた。

 

正直、何が凄いって言うともう存在が良い感じの人だったんですが

 

『小右記』(野宮大臣家)が、日記資料として一級品で、かつ、社会・政治・宮廷儀式・故実が詳細に記されている。

この『小右記』に、道長の有名な「この世をば...」が記されていたことにより、世に知られた。

 

  • 筋を通し切る人間で、道長全盛期でも道長に阿(おもね)ることもなかった。故に、天皇ですら孤立する時期でも、道長ではなく天皇に寄り添い、非常に頼りにされていた。
  • 寛仁3年(1019年)、刀伊の入寇を撃退した部下に対する恩賞交渉に来た藤原隆家に対して、皆口々に地方豪族の武装を嫌った道長に同調するように、褒賞を否定したが、藤原実資だけは「ちゃんと褒美をやらんと、いざ敵が来た時に戦ってくれる奴出てこんくなるで」と正論を言い張って勝利。
  • 道長に阿ることはなかったが、しっかりと能力や人物を評価していたようで、道長としても年長者として実資に一目置いていたらしい。
  • 藤原兼頼に嫁いだ藤原千古くらいしかまともに実子がいなかったので、養子を何人か貰っていた。しかし、遺産のほとんどを千古に渡してしまったので、実頼からの家領は分散してしまい、結果的に小野宮流の没落の一因ともいわれる。

藤原頼忠

こんなに天皇に囲まれた家なのに

嫁は親王の娘なのに

娘は天皇に嫁いでるのに

しかも、遵子は円融天皇中宮なのに、子供が産まれず

 

九条流に外戚の地位をとられ

本人は関白まで昇ったのに

子孫は反映しなかった悲しき家の頼忠さん

 

藤原実頼の次男として生まれたので、子供のいない母方の叔父の藤原保忠に養子に出される

が、兄貴の藤原敦敏が早くに死んだので、小野宮流を継ぐことになった

 

関白の流れが

師輔(九条流) → 実頼(小野宮流) → 伊尹(九条流) → 兼通(九条流)

と、明らかに九条流に持ってかれてる中で、

兼通と仲が良かった & 兼通と兼家の兄弟仲が破綻状態

ということで、イイ感じに関白が流れ込んできた*1

 

関白になったものの、中宮の娘は男児が産めず

しれっと円融天皇が譲位したのちに、践祚した花山天皇の時代には

外戚の藤原義懐が権力を握りだし、何もできず。

 

花山天皇が退位し、一条天皇が即位すると、次は兼家が外戚として威張り散らしたせいで、また何もできない時代が訪れて

とても悲しいまま、関白を辞し、息子に関白を渡すことも叶わず

 

*1:

ここの流れの瞬間に、太政大臣・兼通時代に、源兼明(醍醐天皇11皇子)を左大臣から親王復帰させ、空いた左大臣に頼忠が入り込めた